先日、ある独居高齢者の方のお宅を担当することになった。いわゆる「ゴミ屋敷」の状態だった。積み上がった古雑誌や衣類、空の容器が、その方の人生の時間を埋め尽くしているように見えた。この光景を前にして、単に個人の問題として片付けてしまうことに、私は強い違和感を覚える。なぜなら、ゴミ屋敷は、その人一人の問題であると同時に、現代社会が抱える歪みを映し出す鏡でもあるからだ。核家族化が進み、地域のつながりが希薄になる中で、多くの人が社会的な孤立に陥っている。かつては近所の目や家族の支えが果たしていたセーフティネットの機能が、現代では失われつつある。病気や加齢、経済的な困窮、あるいは大切な人を失った悲しみ。そうした人生のつまずきに直面した時、たった一人で抱え込み、社会との接点を失ってしまった結果が、ゴミ屋敷という形で現れるのではないだろうか。物は、寂しさや不安を埋めるための代替品なのかもしれない。そう考えると、私たちケアマネジャーの役割は、単に介護サービスを調整するだけにとどまらない。私たちは、社会から孤立しかけている人と、再び社会をつなぐ「結び目」のような存在でなければならないのだ。利用者さんの家を訪問し、その人の声に耳を傾ける。それは、制度の隙間に落ちてしまいそうな誰かを、社会が「見ているよ」と伝えるための、ささやかだけれど、とても重要な行為なのだ。ゴミの山の中から、一人の人間としての尊厳と、その人らしい生活を取り戻す手伝いをすること。それこそが、この孤立の時代にケアマネジャーが果たすべき、大きな役割の一つだと私は信じている。