特殊清掃員として働き始めて間もない頃、私は生涯忘れることのできない現場を経験しました。依頼は一件のゴミ屋敷清掃。ドアを開けた瞬間、生ゴミが発酵した酸っぱい匂いと、むっとする湿気が全身を包み込みました。そして、次の瞬間、目の前に黒いカーテンのようなものが現れたのです。それは、数え切れないほどのコバエの群れでした。照明をつけると、ブーンという羽音とともに一斉に飛び立ち、視界が歪むほどの数でした。足元はコンビニ弁当の容器やペットボトルで埋め尽くされ、その隙間から、液状化した食べ物の残骸が覗いています。キッチンが主な発生源であることは明らかでした。シンクにはいつのものか分からない食器と残飯が山と積まれ、その周辺にはうじ虫が湧いていました。コバエは、その腐敗の中心地から無限に湧き出しているように見えました。防護服を着ていても、わずかな隙間から侵入してくる感覚があり、精神的な消耗は想像以上でした。半日かけて発生源となるゴミを全て撤去し、薬剤で駆除を行った後、ようやく羽音のしない静寂が訪れました。あの時、私が感じたのは単なる不潔さへの嫌悪感だけではありません。人が生きる気力すら失った空間の悲しさと、生命が別の形で支配する異様さでした。コバエの群れは、その家の時間が止まり、腐敗が始まったことを告げる時計のようでした。コバエの群れは、目に見えない細菌やウイルスの蔓延を可視化したものと言えます。その存在は、その空間がもはや人間が安全に暮らせるレベルではないことを示す、最終警告に他ならないのです。